令和6年度DVD勉強会 年間スケジュールのお知らせです。
時間は、朝の6時〜7時です。


テーマ:
第11条「物はこれを生かす人に集まる」-万物生々-(前編)


令和6年8月19日(月)6時00分~7時00分

本日は、20名の方にご参加いただきました。

今回は、「全一統体の原理」の中の「物心一如」の解説をいただきました。

「物心一如」とはすべての物は生きており、そのものを扱う者の心と一如である」という真理です。すべてのものは目に見えないもので繋がっており、統一されているという考え方です。私たちは物質(肉体)から一時も離れて生きていることができません。
人間が生きるためになくてはならない物質の正体とは、素粒子の集まりであり、素粒子は常に運動し続けているのであるから、物質は生きてるといえるのではないでしょうか。物質を、心の目で見ていただくと何か感じるものがあるのではないでしょうか。また物質は、己が獲得したと思いがちですが、天与のものであります。

また、物質を生かすには3つの心構えが必要です。

「喜んで受ける」
物を感謝していただき使用する。

「心を込めて大切に扱う」
愛情を注いで大切に扱う。

「十分に働かす」
使えるものを捨てる人は物に捨てられます。

「物を活かす」とは、物を自分の手足や兄弟のごとく愛情を注いで大切に扱うということではないでしょうか。
頭だけで分かるのではなく、実践をすることで体得できるものなので、ぜひ実践をしていただきたいと思います。

参加者の感想から(抜粋)

  • 会社や家に眠っているものを活かすことを考えたい。
  • 今は物を十分に生かし切れていないと感じた。ここから新たにスタートしたい。
  • まずは身の回りの整理整頓から始めます。
  • 仕事道具の手入れを徹底する。すぐにできることから実践します。
  • 心がけの話と表面上の話しとアカデミックな話しを拝聴して目に見えているものが変わった。
  • 物を大切にしていなかった自分を変えていきたい。
  • 頭ではわかっていたが実践が伴っていなかった。まずは整理から始める。

広報委員会 山田隆任


テーマ:
第10条「働きは最上の喜び」-勤労歓喜-

令和6年7月8日(月)6時00分~7時00分

本日は、25名の方にご参加いただきました。

今回は、倫理法人会の実践のうちの1つである「喜働」の解説でした。
「労働」の「労」は「つかれ」「くるしみ」「ほねおり」という意味があるので、本当の働きにはふさわしくないと考え、倫理法人会では「喜働」と置き換える。
「喜びの働き」の真髄が、「万人幸福の栞」の中に書かれている。

自分の只今ついている仕事の尊さを悟って、けんめいに働く時、自然に与えられる楽しみ。これは何物にも替えることの出来ぬ人生の喜びである。最高至上の歓喜である。(万人幸福の栞より)

真の働きとは、疲労なき働きであり、それが「喜働」ということである。
また、見返りを求めない働きであり、「喜働」の真髄は「天職の自覚」ということである。

「草を褥に木の根を枕 花を恋して 五十年」(植物学者:牧野富太郎博士)
ひとつのことに、惚れて惚れて惚れ抜くことこそ人生最高の生き甲斐ではないだろうか。
これは仕事に限らず、家事やお世話を受けた時の「ありがとうございます」という言葉や、食事を心から喜んで一所懸命にいただくことも含まれている。

存在の三原則の中に「存在するものは、すべて使命と価値を持つ。その使命と価値は正比例する」という言葉がある。
すべて存在するものは使命と価値をもっているのであり、使命が大きくなれば価値も大きくなるのである。また、プラスの価値もあればマイナスの価値もある。

真の働きには喜びが伴うだけではない。肉体の健康も、物質の恩恵も地位も名誉も、おのずからついてくる。
人が生きているということは、働くということである。働く喜びこそ、生きてる喜びである。(万人幸福の栞より)

喜びの働き、喜働の前には、争いはなくなり、病も消え失せ、貧乏は姿を消し、その他一切の不幸は消滅していきます。喜びの働きで、世の一切の片が付くのである。(丸山敏雄先生のことばより)

参加者の感想から(抜粋)

  • 後継者として後を継いので、今の仕事が天職であるかわからなかったが、倫理を学び、今は、天職とは自ら発動していくものだと実感している。
  • 目の前の仕事を喜んで働くことによって世の中が平和になっていくと思う。
  • 「働く喜び」は生きている限り追及していくものだと思った。
  • 一生をかけてひとつのことに打ち込むことが、喜びの人生となり、働く原点であると学び、この思想は日本的だと感じた。
  • 喜んで働く環境を従業員の人たちに作っていきたい。それが成果につながるのだと思う。
  • 「使命と価値が正比例する」という言葉を自分自身に落とし込んでいきたい。
  • 「誰かのために役に立っている」と言葉にすることを実践している。喜働につながるのではないかと思う。
  • 「サラリーマンと経営者の心得」という著書に「職業の喜びを知らないみじめさ」という言葉がある。人のお役に立つことで、仕事の喜びにつながると思う。

広報委員会 山田隆任


テーマ:
第9条「約束を違えれば、己の幸を捨て他人の福を奪う」-破約失福-

令和6年6月10日(月)6時00分〜7時00分

本日は、29名の方にご参加いただきました。

決め事というのは、大きくは世の中や大自然の法則、そして条約、憲法、規則、規約、約束などである。この決め事を破るとき必ず自分の幸いを捨てることとなり、また、他人の幸福さえも奪ってしまうこととなる。金銭や財産は身につかず家を不幸にしてしまう。
死んだ(不浄な)金は不幸になる金であり、不幸は子や孫の代にまで影響を及ぼし、不幸のどん底に落ちてしまう。逆に生きた金は幸せになる金である。(詳しくは第11条で解説)

○決め事を破った人が分担しなければならないこと(受ける具体例)

  • 他人から約束を破られて苦しむ
  • 一貫した実践力を失い、無責任な人間になる
  • 嘘をつく性癖が強くなる
  • 物事が七・八分までいって崩れる
  • 信用されなくなり、人間失格の烙印を押される

この5つは「発顕還元の原理」である

○守りにくい、破りやすい決め事

  • 家庭内での決め事
  • 約束の時間
    時の刻みは命の刻みと心得る(時を粗末にする人は人を粗末にする人である)
  • 自分自身との約束
    最も破りやすく守りにくい決め事である
    自分自身との約束ができない人は薄志弱行、優柔不断のレッテルを張られる
    自分自身との約束は神との約束であり、大宇宙との約束事である。
    己を欺く者がどうして幸せになれるであろうか。

参加者の感想から(抜粋)

  • 約束は人の時間を貰っているという意識をもつようにしたい。
  • 具体例が分かりやすかった。改めて肝に愛じなければならないと思う。
  • 約束を守り、信頼の和を広げます。
  • 自分自身の約束事は、他人にはわかりにくいので自分の心の弱さであると思う。
    最終的には自分自身に返ってくるので、自分との約束事は守っていきたい。
  • 自分との決め事を決意したが、さっそく破ってしまったことがある。
  • 家庭内の約束事をしっかりと守っていきたい。
  • 守れない約束はしない。
  • 今までは家庭の約束事を軽んじていたが、倫理を学んでからは約束を守るようにしている。
  • 自分が先に約束を破っているから他人に破られるのではないかと思う。
  • 2回目の「破約失福」のDVD視聴だったが、忘れていることが多く、何度も聞き、学びなおすことが大切だと思った。

広報委員会 山田隆任


テーマ:
第8条「明朗は健康の父、愛和は幸福の母」-明朗愛和-(後編)

令和6年5月13日(月)6時00分〜7時00分

本日は、19名の方にご参加いただきました。
今回は「明朗愛和」の後編で、「愛和」の解説でした。
「愛」の本質は「真心」であり、父母や祖先には「敬愛の念」となり、夫や妻へ向かえば「信愛の情」になり、子に対すると「慈愛の心」となる。
この3つが愛の原型となって、外へ広がっていくと、師弟愛、友愛、恋愛、隣人愛、同胞愛、博愛、人類愛となっていく。

 この「真心」を間違うと「我儘」となり、醜い心に変わってしまうので注意が必要です。相手に対する「愛」が自分の思った通りにしないと収まらないというような心持ちになってしまうと「我儘」になってしまうのです。
愛の性質は「受容の愛」と「発動の愛」の大きく2つあり、これらが融合、合一して真の愛となります。「受容の愛」とはすべてそのまま受けきって、漏らすことなく限りなく受け入れることで「発動の愛」とは自ら投げかける愛となります。これらがどちらにも偏らずに調和している姿が望ましい姿になります。

 愛情を心の中に豊かに育むには「言葉を大切に使う」ということが大切になります。
「ハイという返事」「明るい挨拶」「ありがとう」という3つの実践項目を行うことで「受容の愛」「発動の愛」を身につけられます。
「和」とは、愛に満ち溢れた人たちが寄り集まった集合体であり、そういった集合体を作り上げるには、まずは自分自身が愛に満ち溢れた人間となることが先決です。

【参加者からの感想】(抜粋)

  • 「ハイという返事」「明るい挨拶」「ありがとう」の実践をしていきます。
  • 倫理の「愛」の奥深さを知ることができました。
  • 「和」の姿を目指して新しくスタートしていきます。
  • 人としての基本的な行動や言動が「愛」に繋がっていくと思った。
  • 自分自身を愛することで、他者への愛にあふれ出していくと思った。
  • 母親の愛はすごいと感じた。
  • 自分自身に「愛」がないのではなく、忘れているだけで、子どものころにあった純真な心を見えなくなってるだけだと思った。
  • 言葉の大切さを教えていただいた。

広報委員会 山田隆任


テーマ:
第8条「明朗は健康の父、愛和は幸福の母」-明朗愛和-(前編)

令和6年4月8日(月)6時00分〜7時00分

本日は30名以上の方が参加しました。 純粋倫理の出発点であり極致である「明朗、愛和、喜働」のうちの明朗愛和の前半部分「明朗」についての内容でした。

以下、本日の勉強会の感想になります。

「いくら忙しくても、心のゆとりがあれば忙しくないのである」 この言葉が響きました。

心のゆとりがあれば、忙しさも心地よく感じられるという教訓に触れ、心の平穏が大切だと感じさせられました。
バランスを保ちながら、ストレスや焦りを減らし、心の安定を追求することが、忙しい日々を乗り越える秘訣であることを改めて考えさせられました。

「心配性」は次の三つの型のいずれかに進行していくと言われる。

①ヒステリック型
 人間の心の中に心配性が高じてくると、必ず腹が立ちやすく、怒りっぽくなる。
 ヒステリックには特効薬がないが、心配性を脱却することによって治すことが出来る。

②ノイローゼ型
 心配性が強くなってくると、人間の心というものは必ず世の中の何もかもが信じられなくなる。
 ヒステリックと同様にノイローゼにも特効薬はないが、この型も同じく心配性を脱却したら消えていく。

③躁鬱症型
 ①と②のどちらがあらわれるのかということについて、
 その時、その場、その対象や性格、過去の生活体験、現在、の生活環境などによって左右される。
 性格的な原因から判断すれば、内向的なタイプの人はノイローゼ型が出やすく、外向的で勇ましいタイプの人はヒステリック型になりやすくなる。
 さらに、付言しておきたいことは、両者は必ず合一するということである。
 この状態が一番恐ろしい。心配性がさらに強くなっていくと、前出の両者を兼ね備えるようになる。これが三番目にあたる躁鬱症型である。

①心配性の人は分心(ぶんしん)の状態であり、あれは大丈夫だろうか、この件はどうなっていただろうかと心が一つに集中していない。
これは「一つのことに徹する」ことで解消することができる

→自分もあれこれといろんなことが気になるタイプなので、分心状態にならないように意識していきたいと思いました。

②明朗は天性。生まれながらに持っているもの。子供は明朗である。

→人は誰でも明朗になれる才能を持っていると解釈し、明朗に生きようとあらためて決意しました。

広報委員会 山田隆任


テーマ
第7条「肉体は精神の象徴、病気は生活の赤信号」-疾病信号-

令和6年3月11日(月)6時00分〜7時00分

今回の参加者は19名でした。
肉体(顕界)と精神(幽界)は相関関係(心身相関)にあり、心のありさまを知るために肉体の変化が手掛かりとなる。
病気になったとき、単に肉体だけが故障した」と捉えるのではなく、心のありさままでも探っていくのが純粋倫理である。
心の不自然なひがみやゆがみが病気の原因となっている。家庭の不和、事業の不振などが自分の肉体に赤信号として表れているのである。
つまり外的要因の内にひそむ内的な原因こそが、病気の根本原因ということである。
心の中の「勝手きまま」や「わがまま」が肉体に表れ、次に家庭環境、仕事や職業に広がって、ついには社会や自然界にまで波及していくのである。
純粋倫理の実践の一つは病気を中間目標とすることである。
人は生きているから病気をするのであり、生きようとして痛み、苦しむのである。病気こそ倒れるのを食い止めるための戦いであり、赤信号である。
これら無数の赤信号は、思いすぎ、気苦労、心配、恐れ、そねみ、妬み、片意地から来るのであり、
人と愛和しない、仲良くしない、自己中心の生活をすると無数の赤信号が起こるのである。

参加者の感想から(抜粋)

  • わがままや気ままな心が、誰かと一緒にいると軋轢を生みだすことで自覚することができると思った。
  • 病気を治している過程で命や人生を真剣に考えるようになった。
  • 明朗に生活することで良くなってくることを実践で学んだ。
  • 病気をしたことで新たな希望を持つことができた。
  • 「病気が人格を向上させる」という言葉が心に響いた。
  • 起きたことをそのまま受け止めるという「苦難に対する考え方」を学ぶことができた。
  • 体調が悪くなると、メンタルが弱り誰かのせいにしてきたが、これからも純粋倫理を学んでいきたい。
  • 病を治すのではなく、心を直す(素直になる)のが大切だと思った。生活のあり様を直していきたい。
  • 「人類の朝光」はお勧めの著書。「素直」が大事であり、素直ではない状態が病の状態。
  • 栞の「病気のお見舞いに「それは結構です」という時代がきた。の一文の意味が、DVD勉強会に参加して理解することができた。

広報委員会 山田隆任


テーマ:
第6条「子は親の心を実演する名優である」-子女名優-

令和6年2月13日(火)6時00分~7時00分

ここには「全一統体の原理」の代表的な一つの原理である純粋倫理の根本原理「親子相関の原理(哲理)」が書かれている。
つまり親子関係は相関関係にあり、互いに強い力で影響しあっている。親の心意行為、思いと行いがそのまま子供に強い影響を与えている。子供の心意行為もまた親に対して非常に強い影響を与えている。それは「現在」「過去」「超空間」の思い、行いが反射投影されていく。

「わが子が手に負えない、悪くて困るというとき、その原因はことごとく親にある」
わが子をゆがめ、狂わす根本原因は、以下の3つである。

1. 親夫婦、両親の不和、不仲
2. 親夫婦のエゴイズム(利己主義)

  • 自分の命の源である親を粗末にする
  • 仕事に不平不満を抱きながらいやいや働きながら、わが子には勉強、仕事に喜んで打ち込んでもらいたいと願い強制する。
  • 自分の子供さえよければよい、我が家さえよければ人の不幸はどうでもよいという思いやりのない心持ち

3. 放任と過保護

上記の3つはともに繋がっているので一つでも解明することで必然的にわが子は健全にすくすくと生育する。

では、どうするか。子の親に対する倫理である以下の3つを実践すること。

  1. 生命の結合・・親夫婦が心を一つにして明朗愛和の生活に徹する
  2. 生命の遡源・・生命の源である親の命を大切にし、先祖の御霊に直結する
  3. 生命の燃焼・・わが子を絶対信頼し、親夫婦が天職に喜んで全力を尽くす

「子供を悪化させる、狂わす典型的な叱り言葉」には5つある。
「暴力型」「説教型」「比較型」「お天気型」「陳列型」

モーニングセミナーの場で具体的な実践を学んでいただきたい。

【参加者からの感想】(抜粋)

  • 具体的でとても分かりやすかった。全てが繋がっているということを学んだ。
  • 叱り方を気を付けていきたい。
  • 自分はダメな親の典型だと思った。身につまされる思いだった。
  • 今でも子供を叱ったことは思い出される。倫理をベースに再度子育てをしたい。
  • 「叱る」ということを再度、考え直すきかっけとなった。
  • 愛情過多はわかりにくいので、夫婦で話し合うのがいいと思った。愛情過多は子供にプレッシャーをかけてしまう。
  • 子供の教育だけでなく社員教育にも繋がる話しでした。言い方だけではなく、心も相手に伝わってしまうので、思いを大切にしたい。

自分の心持や態度が子供に影響しているので、まずは自分自身を修めていくことが大事だと思った。また、子供だけでなく親や祖先に対する思いや姿勢も大切にしなければならないと感じた。

広報委員会 山田隆任


テーマ:
第5条「夫婦は一対の反射鏡」-夫婦対鏡-

令和6年1月15日(月)6時00分~7時00分

「第5条は純粋倫理の出発点である」

「縁は異なもの味なもの」(いろはかるた)という格言でもわかる通り、縁というものは本当に不思議なもので、特に「夫婦の縁」というのは常識ではわからないもの。
そして、大自然の大きな力(神様)が合理に合ったもの、過去の集大成、釣り合ったもの同士が繋がっているものである。
「破れ鍋に綴蓋」や「似たもの夫婦」などでもわかる通り、それぞれに補い合っている、ということ。

「存在の3原則」
1. 場と時を得たとき、「もの」は存在する
2. 陰と陽の対立によって「もの」は存在する
3. 存在する「もの」は必ず使命と価値を持つ

自然界では「天」と「地」の対立があり、「天」の働きを「地」が好き嫌いなく受け止める。
人間関係で一番身近な対立が「夫婦」である。

今回は「東西感動美談集」の中から「釘差しの守宮(やもり)~女中おいちの話~」をお話しいただき、人の真心が一番大切であり、その真心を一番最初に誰に向けるのか、を考えさせられました。

最後に「万人幸福の栞 第5条」の結語「己を磨き、己を正す」というお言葉で締めくくられました。

今回は「純粋倫理の出発点」ということもあって、今まで以上に熱のこもったお話しぶりでした。

参加者からの感想(抜粋)

  • 今回の第5条「夫婦は一対の反射鏡」のDVDは2、3回聴いているが「守宮の話」には倫理のエッセンスが凝縮されている、ということが今回、初めて分かった。なかなか相手に歩み寄ることができていないので、これを機に歩み寄りの実践をしていきたい。
  • 当たり前と思わず、自分に奢らず、周りの人を受け入れていくことを学んだ。
  • わかりやすかった。つい相手に目が行きがちだが、自分を磨き正すとの大切さを学んだ。
  • 「自分が変わることで相手も変わる」という点で「第4条」と「第5条」は繋がっていると思った。
  • 「夫婦道」は倫理の元であり終始、熱のこもったお話しでした。

広報委員会 山田隆任


テーマ:
第4条「人は鏡、万象はわが師」-万象我師-

令和5年12月11日(月)6時00分〜7時00分

今回は逸話から講義が始まりました。
エピソードを元に話されたためか、今回はとてもよく理解することができたかと思います。
エピソードの中から「言葉」について日頃、私たちは粗末に扱っていないか、また話せることのありがたさや、言葉で他人を苦しめていないか。日常使っているものだからこそ、慎重に意識を向けないといけないのだなと思った。
「全一統体の原理」についてご説明をしていただきました。
全てのものは別々に見える世界(顕界)
目に見えない絆によって全てのものが結ばれている世界(幽界)
その中でも「対者我鏡の原理」と「発顕還元の原理」のご説明をいただきました。
世の中に起こることは全て学びと捉え、自身の心を深めていくことが大切だと感じました。
森信三先生の「「いやしくもわが身の上に起こる事柄は、そのすべてが、この私にとって絶対必然である共に、またこの私にとっては、最善である(最善観)」という言葉を思い出しました。

参加者の感想から(抜粋)

  • 相手を変えず、自分を変えることを意識していきたい。
  • 「全一統体の原理」を学んだ。「七つの原理」を再読したい。
  • 大自然(宇宙大生命)の学びが最大の学びである。
  • 自分のアンテナの感度を上げ、自然と繋がることを意識する。
  • 言葉だけ知っていたが、まだまだ自分の中に落とし込めていないことが分かった。
  • 「素直な心」「清浄な心」が大切だと思った。

広報委員会 山田隆任


テーマ:
第3条 運命は自らまねき、境遇は自ら造る ー運命自招ー

令和5年11月13日(火)6時00分〜7時00分

今回は「3.運命は自らまねき、境遇は自ら造る ー運命自招ー」

「強い信念を持って行えば運は開ける」という言葉に勇気をいただきました。
それには「即行」「断行」「貫徹」が大事ということ。
では、なぜ強い信念を持って行えば運が開けるのかというと、
「人の心の通りに境遇が変わる」
境遇が変えるのではなく、心が境遇を変えるのである。

参加者の感想から(抜粋)

  • 苅込さんの講話を思い出した。自分が変わって周りが変わる。
  • 運命、境遇は自身の心の在り方で変えることができる。
  • 倫理法人会に入会して人生が変わってる人がたくさんいるのを実感してる。

変えられるのは「自分と未来」、「他人と過去」は変えることができない。
変えられることにフォーカスすることで、運命を切り開くことができるのではないかと感じた。
今回はとても勇気づけられる言葉でした。
また、川崎先生の体験話には惹きつけられました。

広報委員会 山田隆任


テーマ:
第2条 苦難は幸福の門 ー苦難福門ー

令和5年10月10日(火)6時00分〜7時00分
受講会員数:38名

今回は「2.苦難は幸福の門 ー苦難福門ー」

「苦難は、生活の不自然さ、心のゆがみの映った危険信号であり、ここに幸福に入る門がある」

純粋倫理の苦難観

  1. 苦難は人間生活の赤信号(不自然相を教える危険信号)
  2. 苦難は人間向上の足場(人間的な器を大きくする貴重な足場)
  3. 苦難は幸福の門(幸福への入り口)

生きていく中で様々な苦しみがあるが、苦しみの出発点の一つが「わがまま」からきている。
その「わがまま」はすべての人間がもっているものである。
「わがまま」から「心配」へとかわりそれが「怒り」の感情へと移っていくと、苦しみを感じる。
「苦しみ」のそもそもの出発点は己自身から始まっている。
己自身を省みて切り替えていくことで「苦しみ」から離れられる。
人間を生かしている宇宙大生命は、その人が支えきれない苦難は与えない。
ゆえに大苦難に直面した時ほどにっこり笑ってありがたく受けきることである。

参加者の感想から(抜粋)

  • 普段は足りないものに不満を持っていたが、健康を失ったとき「幸福」とは何かを考えた。
  • 子どもや奥さんに押し付けていないか、自分自身を省みるきかっけとなった。
  • 感謝の気持ちをもつと不足、不満がなくなることを100日実践をして実感している。
  • 自分自身に責め心を持つことがよくないと思う。何事も「明朗」に受け取ることが大切。

他の参加者の感想にも「明朗」という言葉が多くありました。

今回は、森信三先生の【逆境は、神の恩寵的試練なり。】という言葉を思い出した。
苦難を乗り越えることで、人として磨かれるのではないでしょうか。
また、三浦知良選手の言葉で締めさせていただきます。
「学ばない者は人のせいにする。 自分に何が足りないかを考えないから。
 学びつつある者は自分のせいにする。 自分に何が足りないかを知っているから。
 学ぶことを知っている者はだれのせいにもしない。 僕は学び続ける人間でありたい。 」

広報委員会 山田隆任